おもしろいデザイン事例

デザイナー吉田のこれまでの取り組み

日本大学芸術学部にて(1980-1983)
デザインと舞台美術を学ぶ

キヤノンにて(1983-2000)

カメラやファクスなどのヒット商品を開発

Samsung電子にて(2000-2015)

最新のデザイン開発を行う日本デザインチーム長

第二の人生のデザイン活動を開始(2015-)

地域の特産品を作るためのものづくりに取り組む

日本大学芸術学部にて(1980-1983)

私は小さい頃からものづくりが大好きだったので、デザイナーになろうと考え、日本大学芸術学部に入学してデザインを学びました。


工業デザイン部門の仲間と話すとクルマのデザインに興味のあるメンバーが多かったです。僕もクルマにも興味はありましたが、カメラや電気製品のデザインにより興味がありました。


大学時代には演劇にも興味があり、寺山修司さんがやっていた独自性の高い劇団「天井桟敷」の劇団員となった時期もあります。美術担当の小竹信節さんにいろいろ教わりながら、舞台作りのスタッフとしてかんばってみました。


特にすごかったのが1981年に行われた、同時進行する5つの舞台の周りに客席があるという画期的な演劇「百年の孤独」の舞台作りでした。

百年の孤独ポスター

大学の卒業制作ではデジタルカメラをデザインしてみました。

卒業製作を作った1982年にはまだカメラはフイルムのものしか無く、プロ用のデジタルカメラが日本で最初に発売されたのが1986年で、一般の人がデジタルカメラを使うようになったのが1990年代からなので、私はかなり早い時からデジタルカメラのデザインに取り組んでいました。
これは卒業制作で作ったデジタルカメラのモデルの写真です。

卒業制作のデジタルカメラ

キヤノンにて(1983-2000)

1983年にキヤノンに入社し、希望していたカメラのデザイン部に入ることができました。


キヤノンに入社して最初に教えられたのが「マネされても、マネしてはいけない。」でした。キヤノンではデザインするものについて様々な視点から調べて考え、その製品のあるべき姿を開発していくのが仕事でしたので、いい考え方の職場で働けたと思います。


入社して最初に取り組んだのが、キヤノン初の水中カメラ ACTY です。水中での写真も手軽に撮れる防水性能の高いコンパクトカメラで、レジャーやスポーツの今までは踏み込んで撮影できなかったいろいろな場でも、便利で楽しく使える新型カメラを開発することができました。


防水のために他のコンパクトカメラよりひとまわり大きくはなりましたが、その分にぎりやすく、レジャーやスポーツの場で親しみを感じるデザインにできました。


当時の人気映画「私をスキーに連れてって」にもいい感じで何度も登場できて人気のカメラとなりました。


これはACTYのパンフレットの写真と、「私をスキーに連れてって」に登場しているACTYの写真です。

ACTY

その後いくつもカメラ開発をしましたが、思い出深いのが Autoboy Prisma です。


これはアメリカでの販売台数が1位になっていた人気商品です。


この機種にはローアングル用のファインダーがボディーの上面に付いていますし、リモコンがフラッシュの下に付いていて、簡単に集合写真などを撮ることができるなど、独自の良い機能がいくつもついています。


今までのカメラに無かった、にぎりやすくて楽しさを感じる丸みのある形をうまく実現できたのがAutoboy Prisma のデザインです。

オートボーイ プリズマ

私はその後、事務機を担当することになり、その中で一番やりがいがあったのが、ファクスホン CF-H のデザインです。


キヤノンでは業務用のファクスはいろいろ製品販売していたのですが、ホーム用のファクスとしてこれが最初の機種となりました。カラーコピーまで取れるようになったファクスの最初の機種でもあります。


業務用のファクスとイメージの異なるホーム用のファクスとして独自性の高い形を目指してデザインしました。


販売して人気商品となることができたので、この機種に似たものが他社からも出てくるようになりました。


ファクスホンは、ちょうど人気女優になっていた常盤貴子さんをモデルにしてパンフレットを初めて作れたことも良かったと思います。これをきっかけに常盤貴子さんのキヤノンのコマーシャルもこの後いろいろ作られました。


これはファクスホン CF-Hのパンフレットと、他社が出してきたCF-Hに似たデザインのホーム用ファクスの写真です。

ファクスホン

Samsung電子にて(2000-2015)

17年勤めてきたキヤノンを2000年に退職しました。新たな思いからサムスン電子に転職し、東京のデザインチーム長となりました。


キヤノンを辞めてサムスン電子に転職することになったきっかけなのですが、キヤノン、ソニー、日産、NECのデザイン部門が力を合わせ、これからのデザインのあり方を研究し合うために作った任意団体「東京デザインネットワーク」があって、私はそのメンバーとして1996年に海外視察に行ける機会がありました。


ツアーメンバーで相談し韓国に行き先進企業などを視察することにしました。サムスン電子やLG電子、大学や新規企業などいろいろ回って視察し、新しい取り組みに興味が持てました。


私たちが訪問した翌年の1997年にアジア経済危機が起こってしまいました。日本はあまり影響を受けませんでしたが、韓国は大きな影響を受け経済が行き詰まってしまいました。しかしその危機をきっかけに新しい取り組みを行なった企業があり、韓国経済の国際競争力は格段に高まり、サムスン電子や現代自動車など世界に冠たる企業が登場したのでした。


新たな発展の中にあったサムスン電子は、更に新しい取り組みを進めるために、2000年に海外に6箇所のデザインチームを作ることにしました。日本には3名のデザインチームはあったのですが、チームを拡大させて新たな取り組みを進めるために人材を採用することになりました。


1996年の韓国への視察訪問がきっかけになり、私に日本のチーム長となるようお声がけをいただき、新しいチーム運営に興味があったので私は転職することにしました。


私を誘ってくれたのは、1996年の視察の時にお会いした、サムスン電子デザインチーム長のチョンさんでした。チョンさんは30代の時にサムスン電子から派遣され、千葉大学の大学院デザイン科に留学されていたので日本にとても詳しい方です。


チョンさんはサムスン電子のデザインチーム長となってたくさんの実績をあげて、サムスン電子の副社長にまでなられました。


その後サムスン電子を退職されていますが、今もデザインアドバイザーの仕事をされていて「日本デザイン振興会」の理事もされています。


今も日本によくいらっしゃるので、私はご希望されるところを案内したり、仲間たちで集まって楽しい夕食会などを年に何度も行い、一緒に親しく過ごさせてもらっています。


私は転職してみていい出会いもいろいろありました。2002年にサムスン電子の常務だったチョンさんに「大阪府産業デザインセンター」から講演の依頼があり、私もチョンさんと一緒に参加させていただきました。その時の同じ講演会で良品計画取締役の金井政明さんも講演されました。良品計画とサムスン電子がお互いのデザインの取り組みに興味ができたので、その後時々金井さんとお会いしてデザインの話をするようになりました。

大阪府産業デザインセンター

サムスン電子で仕事をしながら、私は国産材の活用に興味の強まる出来事もありました。


2005年に内田洋行デザイナーの若杉さんから「スマートインフィルというこれからの空間づくりの面白いの作ってみたから見においでよ。」と連絡がありました。


若杉さんとは、私がキヤノンで事務機デザインをしていた時に、慶應大学SFCがオフィス関係のいろいろな会社のメンバーを募り、次世代オフィスの研究会をやっていたときに知り合いました。若杉さんはいいデザイナーだったので、私はすぐにスマートインフィルを見に行ってみました。


スマートインフィルはアルミの柱と新建材の壁で作られていて、空間構成を容易に変更できたりするいい製品なのですが、新建材だけではあまり温かみが感じられないため、杉をうまく使ったデザインで温かみが感じられる空間にしてありました。その素晴らしさに私は感激しました。


私はちょうどこの時、デザインの展示会でサムスンが大学生たちと進めていた「Samsung Design Membership」を展示するスペースを検討中だったので、展示スペースを杉とスマートインフィルで作ってもらえないかとお願いしたところ、頑張って展示会に間に合わせてもらえました。スマートインフィルとしてもこの展示が最初の一般公開となりました。翌年「Samsung Design Membership」をグッドデザイン 2006 に応募したところ、グッドデザイン賞の審査委員長特別賞を受賞することができました。


若杉さんたちはこの後、宮崎の木材をたくさん使って新設された「日向市駅」を作っていくことに関わったことをきっかけに「日本全国スギダラケ倶楽部」という国産材を使っての心地よい暮らしのためのものづくりなどを広めていく、とても面白い団体を始めました。私もスギダラケ倶楽部に入り、楽しく一緒に過ごせるたくさんの友人ができました。


内田洋行の本社に杉をたくさん使って温かみを感じる素敵なショールームができたので、チョンさんを案内したところすごく気にいってもらえました。チョンさんが帰国して「内田洋行のショールーム見に行くと良い!」と韓国の人たちに紹介したところ、韓国からとても多くの人たちが見学に来ました。見学に来た人たちの中から、韓国にもこうした杉材を取り入れたスペース作りたいとの相談もけっこうあり、若杉さんたちに対応していただきました。


良品計画の金井さんに、この素敵なショールームを是非一緒に見に行ってみませんかと私から伺ってみたところ、金井さんが若手のメンバーたちを連れて見学してくださり「とてもいい!」と感じてくださりました。ここで金井さんチームと若杉さんチームの強い繋がりが生まれました。


良品計画の方たちにも木材空間への関心が高まっていき、池袋の本社ビルのインテリアは全て金井さんチームと若杉さんチームで相談してリニューアルが進み、良品計画の本社内全てが杉を使った心地よい空間になっています。



私はサムスン電子で13年目で55歳になり、本社から日本デザインチーム長を若手と交代するよう指示があり交代しました。当時日本は60歳定年でしたが、韓国のサムスン電子は55歳定年だったので、僕が55歳になったので日本では定年にはなりませんでしたが役割が変わったのですね。


サムスン電子ではデザインを決定するのは、日本企業のように関係者たちがじっくり相談して決めるのではなく、経営者が判断してデザインを決めてスピーディーに製品化を進めることになっていて、そこがサムスンが成長できた一つのポイントでした。その経営者に納得してもらうためのデザイン案や説明資料などの製作にメチャメチャ速いスピードで対応しなければならない仕事が多くて大変だったので、私はとても忙しかったのですが、55歳で役割が変わって自由に使える時間が増えました。


自由に使える時間が結構増えたので、電子機器の開発に関わるだけでなく、これからの人生で私が何をやっていくといいか考えるようになりました。私たち国民が取り組んでいかねばならない課題のひとつである、国産材の有効利用に取組む日本全国スギダラケ倶楽部などの活動に参加して更に関心が高まり、私はデザイナーとして心地よい空間づくりや、楽しさを感じる木材製品の開発に関わっていきたいと思うようになりました。

第二のデザイン活動開始(2015-)

そしてサムスン電子での仕事が15年たち私が57歳になった時に、もうすぐ定年だけどちょっと早めに木材系デザインの仕事を始めたいと考え、サムスン電子を退社することにしました。


私はまだ木材系デザインの実績がなかったので、すぐに木材系デザインの仕事の受注を得ることは難しかったので、内田洋行のデザインアドバイザーや、デザイン会社 Ziba Tokyo の顧問をさせてもらいながらしばらく過ごしていました。


この時には、大学や企業からサムスン電子で取り組んできた先進的なデザインについての講演をさせていただく機会がいくつもありました。写真は京都大学で行わせていただいた講演会です。

京都大学デザインスクール

木材系デザインの最初の仕事は、スギダラケ倶楽部で繋がりのある海野建設の海野社長からで「日向市の海でサーフィンする人のサーブボードスタンドをデザインしてほしい」と依頼を受けることができました。


海野建設では弥良来杉(ミラクルスギ)を使っての製品作りをしています。弥良来杉は宮﨑産の杉を使って防腐・防蟻効果のあるモックル処理をして作られた、10年の保証付きという安全・安心のとても良い高耐久木材です。


その弥良来杉を使ってデザインさせてもらったサーブボードスタンドとサーブボードスタンド付きのベンチの写真です。

サーブボードスタンド

木材系の会社で仕事して実績を積んで、木材系のデザイナーになろうと考え、スギダラケ倶楽部の繋がりで新木場の細田木材工業に就職しました。
細田木材工業でいろいろなデザイン開発をやらせてもらいました。最も頑張った取り組みは木のホワイトボード「きえすぎくん」の開発でした。

きえすぎくんはマーカーできれいに書いて簡単に消せるここち良い木の製品なので、ご覧になった方のほとんどの方が興味を持ってくださいました。


テレビや雑誌でも紹介していただくことができ、全国の方たちにきえすぎくんが広まってくれて良かったです。

細田木材工業で仕事をしながら、東京おもちゃ美術館で学び「おもちゃコンサルタント」「木育インストラクター」の資格を得ることもできました。そうして保育園からのご要望に対応した良いデザインもすることができました。


園長さんから「この通路に、普通のベビーゲートよりも子供が外に出にくくて、保育士が簡単に出入りしやすい木のドア付きのゲートを着けて欲しい。この通路は年に何回かイベントの時にゲートを外さなくてはいけないので、簡単に外せるようにして欲しい。」とのご要望でした。


そこでドアノブを子供には触れない高さに付けて、取り外しも可能な構造のデザインにしてみました。ドアの枠を支えているのは天然水ペットボトルが詰まった木の箱です。そして子供たちが絵を書いて遊べるきえすぎくんでもゲートの壁を作っています。使いやすくて木の質感がいいので好評です。


庭に出入りする時のゲートと、二階の階段前のゲートにも、この木のドアゲートを設置いただきました。

保育園に設置

明治神宮さんからのご要望に対応してデザインしたのがこのアーチゲートです。これは明治神宮100周年記念を祝うイベントに使われるもので、全国各地の農作物の名産品などを屋外で販売するコーナーの入り口に設置されました。


この木材は吉野のヒノキでできています。遠くからもいい感じで目立つので、人が集まりやすくなっています。

東京の木材会社で仕事しながら、更に木材への思いが高まりました。地元木材の有効活用を進める仕事を地方でしてみたいと思うようになりました。


もう私は60歳を過ぎているので、地方に移住しての仕事はこれからだんだん難しくなっていくと思い2019年末に東京から宮崎に移住しました。


移住して一人で木材の仕事を始めようとしても、すぐには難しいので、スギダラケ倶楽部の繋がりで川上木材の川上社長に誘っていただき就職させてもらい、川上木材で地元の木材を活用する試作品をいろいろ作らせてもらいました。


これは杉でできた木のパーテーションです。斜めの板で程よく空間を分けることができるデザインになっています。斜めの板など加工が難しそうですが、レーザーカッターで作った部材を使うことなどで簡単に組み立てもできます。

パーテーション

宮崎の地元の木材で作った集成材の活用で考えてみたのが、丸テーブルと丸椅子のデザインです。


900x1800の3x6板の集成材を使ってNCルーターで加工します。集成材をほとんど無駄なく使えて、組み立ても簡単にできます。

3x6板1枚で丸テーブルが1台、丸椅子が4台できるデザインになっています。

丸テーブルと丸椅子

地元の木材を使った生活用品もいくつもデザインしてみました。コーヒーなどにプラスチックのカップホルダーが使われることがよくありますが、温かみのない感じが残念なので、温かみを感じる木のペーパーカップホルダーを杉で作ってみました。


この木のペーパーカップホルダーを使ってお客さんにコーヒーを出したところ「このペーパーカップホルダーいいなあ、うちの事務所でも使いたい。でもこのカップホルダー並べて置くスペースがないなあ、、」とのことでしたので、狭くても置けるようにカップホルダースタンドとペーパーカップを立てて置けるカップスタンドを作ってみました。


更にシュガーやクリープ用のボックスと、ミニくず入れもセットにしてみました。これまでどこも作っていない面白いセットだと思います。

ペーパーカップホルダー

新型コロナウイルスの感染防止の道具もデザインしてみました。コイヤ協議会事務局長の石田達也さんから「新型コロナウイルスの感染防止の道具を木で作ってみて欲しい」という相談を受けて試作をはじめました。


レーザーカッターで試作品を作って石田さんに渡して意見をもらったり、試作したものを実際に使ったりしながら改善を進め、胸に付ける木のパスケースをベースに、裏面にニ型とハ型の部品を付けることでドアノブに直接触れずに操作ができるようにしました。

木のパスケース

側面に導電性ゴムシートを付けることで電子パネルにも直接触れずに操作できるようにしました。使いやすくて新型コロナウイルスの感染防止に役立つ製品ができて良かったと思います。

試作品

これまで吉田が取り組んできたデザインや、良い人の繋がりを作る事例などを紹介させていただきました。これからも多くの方たちとデザイン活動を行ったり、楽しいイベントを行ったりしながら頑張ってみたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。


「日本全国スギダラケ倶楽部」のメンバーで作った、作り手と使い手を結んで、地域のものづくりを盛り上げていく「コイヤ協議会」があります。吉田はコイヤのデザイナーもやっています。
https://koiya.org/

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